『音楽と人』の編集部員がリレー形式で、自由に発信していくコーナー。エッセイ、コラム、オモシロ企画など、編集部スタッフが日々感じたもの、見たものなどを、それぞれの視点でお届けしていきます。今回はある新作映画を観た編集者が、そこでの気づきを綴ります。
観終えたあと、ジェットコースターに乗った時のような疲労がどっと押し寄せてくるのに、なぜだかワクワクして思わずニヤけてしまった。長い間緊張していたせいか、うまく手足に力が入らないことにハラハラしたが、劇場をあとにしてもしばらくの間興奮は冷めなかった。
そんな体験をしたのは、4月1日に公開された『TITANE/チタン』という映画を観た時のこと。これは昨年のカンヌ国際映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞した作品で、公開前から日本でもじわじわと話題を集めていた。そんな輝かしい功績を収めている本作だが、肝心のストーリーは過激かつ挑戦的。あらすじをまとめると、幼少期の交通事故によって頭蓋骨にチタンプレートを埋めた主人公のアレクシアは、それ以降、車や金属への異常な執着心を抱くようになっていた。さらにはより危険な衝動に駆られて人を殺してしまうのだが、その罪から逃れるために彼女はある策を思いつき、やがて消防士のヴァンサンに出会う。彼は息子が行方不明になり一人で暮らしていたが、ひょんなことからアレクシアはヴァンサンの息子になりすまし生活をともにしていくのだ。だが彼女の身体にはある秘密があり――といった内容になっている。それを時にスリリングに、直視するのが辛くなるほど痛々しい描写で見せつけ、かと思えば耽美かつ官能的なタッチでこちらを惑わしてくるのだ。そして意外なことにユーモアセンスにもあふれている。本作で起こりうることは現実からかなりかけ離れていることもあって、頭の中に何度も「?」が浮かんだし、心の中でツッコミを入れてばかりでもあった(それが過激な描写に対する息抜きのような作用もあり、楽しい時間でもあったが・笑)。ついていくのに必死になるほど絶えず飛躍・変化をしていく物語は、まさに一気にスピードを上げて急降下や上昇を繰り返すジェットコースターのようで、理解しがたい部分もたくさんあるのだが、アレクシアの肉体、そして内面もみるみるうちに変化を遂げていくのだ。そしてそこには必ず〈痛み〉が伴う。
この現実でも、何かが変わる時や、新しいものを手にするまでの過程には〈痛み〉が生じてしまうことは多いのではないだろうか。例えば自分の話になるが、私は全身麻酔の手術を2度経験している。一度は特発性側弯症の治療のため、チタン製の棒で背骨を矯正する手術(余談だが、主人公と同様にチタンが体内に埋め込まれている身だからこそ、本作を観たいと思ったのも事実)。そして二度目は、扁桃腺の摘出。どちらも内容は違えど、麻酔から覚めたあとに感じる痛みはもちろん、治療に向き合う辛さ。それも立派な〈痛み〉なのではと思うし、肉体、精神の両方で感じるそれを経て、今の快適な生活を手に入れることができた。それがなければ、健康や豊かさみたいなものからは、遠ざかっていた可能性だってあるのだから。また、今は新年度が始まったばかりであり、俗に言う出会いと別れの季節でもある。何かに別れを告げて、寂しさや悲しさを味わいながらも、新しい場所で進んで行こうとする人も多くいることだろう。やはり何かが変わる際には、チクリと心に刺す棘のようなものからは逃れられない気がするのだ。
アレクシアも、ある出来事によって肉体的な〈痛み〉を伴いながら精神的にも追い詰められ、葛藤し、やがて大きな変化を迎えることになる。それを最も象徴するのが最後のシーンだと私は思うのだが、かつては危険な衝動に駆られて行動していた彼女が、初めて血の通った、温かい感情を知ることができた瞬間だったのではないだろうか。そうして彼女は、きっと想像もつかなかった、今まで知らなかった新しい世界が見えたのではないかとも思う。よく考えると〈痛み〉は生きている人間であれば誰もが何かしらで感じるもの。だからこそ、本作は突飛かつ過激的な内容に思えて、実は普遍的で人間臭い物語でもあると私は思うのだ。一見当たり前を覆し、常軌を逸するように見えたこの物語が、最後にはこんな神聖な域にたどり着くとは正直思いもしなかった。アレクシアと同じように、私も新しい世界に触れたのかもしれない。だからこそ、これから生きていく中でさまざまな〈痛み〉を味わい苦しむ瞬間があったとしても、それを受け止めることで変化していけるのかもしれないし、新たにできるようになることもあるのでは、といった希望が湧き上がってきたのだ。本作には、痛々しさはもちろんだが、それ以上に人間に宿るとてつもない真っ直ぐな力と、秘めたる可能性。それを内包していると思う。
と、ここまで書いておきながら言うのもなんだが、何度も記しているように過激な描写が盛り込まれているため、大々的にオススメしづらいのが事実で……それでも、もし少しでも気になるならぜひ劇場で体感してほしい作品であり、私自身も人が持つ純粋なエネルギーに触れるために、あの世界をもう一度味わいたいと思っている。
文=青木里紗