『音楽と人』の編集部員がリレー形式で、自由に発信していくコーナー。エッセイ、コラム、オモシロ企画など、編集部スタッフが日々感じたもの、見たものなどを、それぞれの視点でお届けしていきます。今回は最新号の巻頭特集を通して、学生時代のある出来事を思い出した編集者が、それにまつわる思いを綴ります。
最新号のASIAN KUNG-FU GENERATION25周年特集、読んでいただけましたでしょうか?
ライターの石井恵梨子さんが「デビュー当時のOKAMOTO’Sに取材した時『中2の時に〈君という花〉が出て、中3の時はあの曲で……』みたいな感じでポンポン曲名が出てきたんですよ。もうエポックとしてアジカンの曲が機能してる」と話していたが、これはまさにその通りで。私もOKAMOTO’Sと同い年なので、その感覚はよくわかる。〈あのアルバムが出た時、自分は○年で……〉みたいに、アジカンの過去作に触れるたびに、当時の自分を振り返ることができる。そんな自分が、アジカンの取材を手伝うことになった。取材に備えて過去作を改めて聴き返してみたが、作品ごとに当時の自分が顔を出してくるので、何とも言えない気持ちにもなる……ああ、蘇る黒歴史の数々……。中でも『君繋ファイブエム』は、過去の記憶を特に鮮明に呼び起こしてくれた。この作品に収録されている「君という花」は、私が通っていた大学の軽音部で演奏されていて、よく耳にしていたのだ。と言っても、私は軽音部員ではない。自分がしょっちゅう利用する講義室の傍に部室があり、通りすがりに耳にしていただけ。それはお世辞にも上手いと言えなくて、あまりのグダグダっぷりに、〈アジカン好きなら本家を聴き込んでちゃんと練習してよ……〉とお節介なことを思うくらいだった。
グダグダな「君という花」にモヤモヤしていたのは、ちょうど10年前の春。私は大学4年生だった。就活がスタートして間もないタイミングで、今年一年の頑張り次第で将来が決まるのかと思うと不安で、つねに見えない何かに追われているような感覚だった。しかし、そのくせ就活をナメてる自分もいた気がする。例えば、今もあるのかわからないが、大学が主催していた就活メイク講座的なものには一切参加しなかった。それは就活にふさわしい濃くも薄くもない、ちょうどいいメイクを教えてくれる親切な内容の講座だった。が、当時の自分は捻くれていて、〈そんなこと、わざわざ教えてもらわなくてもできる。大人数で集まってメイクを教わる時間がもったいない〉と考えるようなめんどくさい人間だった。就活用のマナー講座も、たった1回参加しただけ。不安なくせに変に自信過剰なのだから、意味がわからない。
そんな自分にも、どうしても行きたい企業があった。そこは音楽関係の企業ではなく、今の職種とは一切関わりのない場所。昔、その企業のある商品に出会って感動した思い出があり、自分も誰かの記憶に残るような商品を生み出したい!と、志望動機のテンプレートのようで、だけど純度100パーセントな思いを抱いていたのだ。その企業は東京にあるので、地元である新潟に住んでいた自分は、採用試験があるたび上京していた。自分の長所なんかわかんないよ……と途方に暮れながら必死に空欄を埋めたエントリーシート、もっと日頃から新聞を読んでおけばよかったと後悔した筆記試験、周りの就活生がやけに光り輝いて見えて自信喪失した集団面接やグループディスカッション……それらを一つずつ通過し、内定へ駒を進めるたび、〈もしかしたら〉なんて明るい未来を想像しながら、夜行バスから流れる景色を見つめていたことは今でも鮮明に覚えている。あと覚えているのは、当時自分が頻繁に利用していた夜行バスは、なぜか朝の車内放送で、つのだ☆ひろの「メリー・ジェーン」が流れていたこと。朝の目覚めに合う曲ではないし、なんでその曲を選曲したのかはいまだに謎……。
しかし、最終面接で落ちた。当時は就職先で人生が決まると思っていたし、心底その企業に憧れていたので、そのショックは相当なものだった。実家暮らしだったので、親には心配かけまいと泣くのを堪える、なんてことができる器用な人間でもないので、とにかく感情はダダ漏れ。音楽に心を癒してもらいながら、泣き続けるような湿っぽい日々が続いた。その時期はご飯を食べる気力もなく、母親が作ってくれたラーメンの麺を数本啜るのが精一杯だった。そういう心理状態にある時に食べたものの味も、なかなか忘れられない。
その後は気が済むまで落ち込み、なんとか復活。しかし、完全に第一志望の企業を吹っ切れることはできず、同じような業種の他の企業も受けてみたが、ことごとく惨敗。自分はその業界に向いてないと早く見切りをつけて、もっと視野を広く持っていろんな職種に応募してみればいいものの、なかなか行動に移せない。やっと行動に移せても、嘘みたいに不採用の連続で、自分は社会不適合者なのかと激しく落ち込む毎日。一方で、周りの友達は、地元の銀行だったり企業から内定をもらい、残りの学生生活を満喫するタームに突入していた。そんな友達を見て焦りを感じていた頃、軽音部の部室の傍を通ったら聴こえてきたのは、やっぱり上達してない「君という花」。だけど、グダグダなのは私も同じだった。
その年の夏、私はようやく内定を手にした。ぶっちゃけ、第一志望の企業や職種のことを完全に吹っ切れていなかったが、無事社会人になれることに安堵し、そこで就活を終えることにした。あとは思い出作りに励もうと、友達と参加したとあるフェス。それが、臭いこと言うが、運命の出会いだった。私はフェスというかライヴそのものにひどく魅了され、気がつけば、自分もこういう空間だったり、音楽の魅力を発信できる側になりたいという目標が生まれていた。しかし、時すでに遅し。秋以降に新卒採用を行う音楽系の企業には出会えなかった。ましてや、自分は内定をもらっている身である。このタイミングで内定を辞退するのは迷惑極まりないし、もう先の見えない毎日を過ごすのも嫌。なので、音楽業界への憧れを胸に秘めたまま、内定をもらった企業に予定通り入社した。しかし、音楽業界への憧れは消えることなく、わずか3年ほどで私はその企業を退職。その後はさまざまな経験を重ねて、今の仕事にたどり着いた。
長々と書いてしまったが、とにかく言いたいことは、新卒時の就活でその後の人生の全てが決まるわけではないということ。もちろん、新卒で入社することの利点は山ほどある。だけど、本当に諦めたくないことがあるのなら、それは執念深く追いかければ、いつの日か掴むことができる可能性があると思っている。必ず実現できる保証はないし、私は単に運が良かっただけかもしれないが……。あと一つは、採用試験に落とされても、どうか自分を責めないでほしい。別に採用担当者は、あなたが朝起きて夜寝るまでの全てや、心の内も、人間性も、全て把握してるわけじゃない。だから、自分は人としてダメだとか、絶対に思わないでほしい。
「君という花」を聴いていたら、就活でひどく落ち込んだ経験のある自分に何かできることはないか?と思い、この記事を書くことにした。今はまさにエントリーが始まっている時期だと思うが、この記事で就活生の読者の皆さんの心を、少しでも軽くできたのなら嬉しいです。そしてアジカン特集号、まだの方がいたら是非読んでみてください。昔アジカンが好きだった人、今も変わらず大好きな人、このバンドを愛するどんな人にも、必ず響く特集になっているので。
文=宇佐美裕世