『音楽と人』の編集部員がリレー形式で、自由に発信していくコーナー。エッセイ、コラム、オモシロ企画など、編集部スタッフが日々感じたもの、見たものなどを、それぞれの視点でお届けしていきます。今回は、年始に地元へ帰省した編集者が、そこでの気づきを綴ります。
念願叶って、今年のお正月は地元でゆっくり過ごすことができた。とはいえコロナ終息には程遠いので、常に感染対策を徹底しつつ、帰省したことは友達に一切告げず、家族とだけで過ごすよう心がけていた数日間。それでも、家族水入らずで過ごすこと自体久しぶりだったので、一つ一つの出来事にいちいち感動していたし多幸感でいっぱいだった。たったの数年、いつも通りのお正月を堪能できていなかっただけなのに。
特に嬉しかったのが、地元の神社へ初詣に行けたこと。私はもともと神社・仏閣が好きで全国のさまざまな神社やお寺を巡ってきたが、初詣だけは地元の神社で!と決めて生きてきた。別に神社なんてどこに行っても同じだろと言う人もいると思うが、地元の神社には妙な安心感や信頼感があるのだ。人には神社との相性があり、自分の属性に合う神社に行けばご利益が増すという説も聞くが、属性どうこうの話を超えた居心地の良さを感じるのは地元のとある神社だけ。ちょっとスピリチュアルな話に脱線してしまったが、こんなふうに地元の神社を愛してやまない私は、その愛ゆえに大学生の頃そこでバイトをしたこともあった。と言っても、私が働いていたのはお正月ではなく七五三の期間だけの超短期。仕事内容的には、巫女として七五三の記念撮影等に訪れた家族を各所に案内するだけで、特別難しいことは何もない。その上、偶然同じ中学に通っていた友達と再会を果たしたり、新しい友達もできたりと意外な収穫もあった。ああ、今思い返しても楽しかったなぁ……なんて余韻に浸りつつ、初詣に行った日の晩、当時の写真でも見返そうと携帯でGoogleフォトを開いて気づいたのだが、巫女バイトの記念になるよう写真は1枚も残っていなかった。
思い返せば、私はもともと記念写真を撮らなさ過ぎる人間だった。写真を撮ること自体は好きだが、自分の姿を写真に残しておきたい願望はあまりないので、自撮りなんて滅多にしない。試しに直近で自撮りをしたのがいつなのか遡ってみたが、3年前に一人で新喜劇を観に行き、すち子の着ぐるみと一緒に記念撮影して以来していなかった。巫女の格好なんてそうそうできやしないのに。せっかくの機会なので、せめて当時の写真を1枚でも残しておけたらよかった……そんな後悔の念に苛まれながら思い出したのが、巫女姿の写真は手元に1枚もないくせに、知らない家庭のアルバムにはきっと残っているであろうということ。巫女という存在の珍しさから、案内係として待機していると「写真に入ってもらえませんか」と声をかけられることが多く、その家族の一員になった気分で撮影に加わったことが何回かあったのだ。何ともシュールな思い出だ。新潟でお子さんの七五三の撮影を行ったという方で、寒さによって顔が青白い巫女が写っている写真を持っている心当たりのある方がいたら、音楽と人宛てに写真を送ってもらえると嬉しいです。
そんな冗談はさておき、その後悔をきっかけに、最近は記念撮影の重要性というのをひしひしと感じている。記念撮影というのは、巫女バイト然り、今後二度と経験できないようなことはもちろんだが、撮影するのが小っ恥ずかしいと感じてしまう人との写真ほど残しておきたいと強く思っている。家族と一緒に食卓を囲んだり、父親が運転する車に乗って後部座席から両親の後ろ姿をぼーっと見つめるだけだったり、テレビを見てみんなで爆笑したり。今回帰省して気づいたことだが、私という人間はそういう何てことない時間ほど愛おしさを感じたり、あと何回こういう時間を一緒に過ごせるのかと感傷に浸るくせに、写真として残そうとはしていなかった。特別感も洒落っ気もない光景なので撮影する気が起きなかったのだろうが、その瞬間だって永遠じゃない。いつかは親と別れる時も来る。それならその日まで後悔のないように少しでも多くの時間を一緒に過ごしていきたいし、一緒に過ごしてきた時間は鮮明なままで残しておきたい。何でもかんでも写真におさめようとするのは、まるで過去に縋る準備は万端!な感じがして嫌だが、写真に残さないことで、大切な思い出が時間の経過と共に色褪せたり、上書きされてしまうのはもっと避けたい。
と思ったことを親に話すのは照れくさいし、話したところで「縁起でもないこと考えないでよ」なんて言われそうな気がしてならないので、結局は自分の中に秘めたままだ。そんなことを考えながら両親と食べに行った寿司屋で、わさびとは違う理由で涙目になってしまったのはここだけの話。次に帰省した時こそは、家族とたくさん写真を撮ってみようと思うが、林家夫妻並みに撮影しまくる娘を見て、親は一体何を思うのだろう……そんな両親の反応を楽しみにしつつ、次に帰省できる時までまた東京で頑張ります。
文=宇佐美裕世