高らかに鳴らされる晴れやかなギターの旋律が、バンドの新たな出発を知らせるニューシングル「Re:Pray」。10月30日より始まる、実に3年ぶりとなる全国ワンマンツアー。それに先駆けてリリースされるこの作品には、新体制となったKANA-BOONの、そして約半年の休養を経てバンドに復帰した谷口鮪(ヴォーカル&ギター)の新たな希望と、これからへの覚悟がしっかりと刻まれている。4月に行われた谷口の復帰ワンマンでは、休養期間のこと、そこから立ち上がって考えたことをまっすぐに語っていたのだが、その思いが、今回のシングルでKANA-BOONらしいポップなサウンドと共に鳴らされていることが、まずなにより嬉しい。久々となる谷口との対話。これまでと変わらず、正直に自分のことや今の思いを語ってくれた、その言葉をここに届けたいと思う。今日を明日に繋ぐための希望について――。
( これは『音楽と人』11月号に掲載された記事です)
まずは、おかえりなさい!
「はい、ありがとうございます。おかげさまで復帰しました」
4月の復帰ライヴの時に、年明けから曲作りを再開したと言ってましたが、そこで最初にできたのが、今回のシングルに先駆けて配信リリースされた「HOPE」になるんですよね。
「はい。去年活動をお休みして、ほんと音楽も聴けないぐらいの状態だったりしたんですけど、年明けから自分のスイッチが切り替わるきっかけもあって。自然と曲を作ってみようっていうモードになって、浮かび上がってきたのが〈HOPE〉で」
リリースに際してのコメントにもありましたが、そこからまた自分の中に音楽が湧きあがってきた感じだったんですか?
「自分でもびっくりするぐらい曲が溢れ出てきて。20曲ぐらいかな。だから年明けから春にかけて、ずっと曲作りをしてました。なんだろう……何かに突き動かされてる感じがあって。ほんと曲作りを始めた、14歳の頃に近い感覚があったんですよね」
鮪くんの音楽の原点で感じたものに近いものがあった。
「うん。タイアップがあってとか、リリースの予定があってとか、そこに向かって曲作りをしていくってことじゃなくて、自分の中にある、言葉にして出すことができない、どうしようもないものを音楽にしていく。曲作りにおける自分の中で一番正しい形にまた立ち返った感じがありましたね」
それは、一度立ち止まったことで、音楽への向き合い方も一旦まっさらになったから、必然的に原点に立ち返ったということなんだろうか。
「まっさらというか、自分の中で1回音楽というものが消えてしまったんで……まあ精神状態的に何も手につかない、なんかもう時が止まってる感じ。僕は置いてけぼりになって、世界はどんどん進んでいってるような感覚で」
音もなく、周りの景色も色を失っているような。
「もう最初の頃は、音楽を聴くことも、もちろんプレイもできない、唄うことにすら全然興味が湧かない感じで。でも、メンバーや周りの人たちが手厚くサポートしてくれたおかげで、また音楽を作ることができて、なんとか戻ってこれました」
4月のライヴでは、休んでいる間どういう状態で、どんなことを考えてたのかをすごく誠実に話していて。それが、「HOPE」や、このシングルに繋がっているんだけども、あの日は、メンバーが終始喜びに満ちた姿を見せていたことが、すごく印象的で。古賀(隼斗/ギター)くんのはしゃぎっぷりも含め(笑)。
「そうそう(笑)。メンバーが喜んでたから、まずは良し、じゃないけど、あの日は、自分でもすごくいいライヴやったなとは思ってますね。休んでる間もメンバーがよくうちに遊びに来てくれて、古賀の持ってきたボードゲームで3人で一緒に遊んだりとか、ちょっと友達らしいことをしてたんですよ(笑)」
友達らしい、って(笑)。
「ははは。やっぱりそこで見せる表情とは違うものが、あの日のステージ上にはあって。それが見れたことが自分としてもまず嬉しくて。で、もちろんお客さんが喜んでいることも同じくらい感じ取ってすごく嬉しかったし、なによりありがたかった」
メンバーもそうだけど、あの日、鮪くん自身もすごく楽しそうにステージに立ってましたよね。
「楽しかったですね。ステージに立って人に迎えてもらって、っていうこと以上の楽しみはないというか。いろんな好きなものが僕にもありますけど、やっぱりどんなものもライヴには敵わないなっていうのは、あの日あらためて思いました」
これはライヴレポにも書いたけど、曲を作っていくこと、ライヴのステージを重ねていくことで、鮪くんは前に進んでいくんだろうなっていうのは観ていて感じたところもあって。
「そう感じてもらえたならよかったです。僕もそう思ってたし」
で、なぜそう感じたのかっていうと、前にインタビューで、「悲しいぐらい音楽でしか自分を喜ばせたり慰めたりできないんだ」って言ってた、その言葉があの日、ライヴを観ながら浮かんだからなんだけども。でも、その音楽すらも自分に入ってこない時期があったと。
「ありましたね。まあ、だいぶキツかったですけどね。でもあの経験が自分をより人間らしくしたというか」
というのは?
「もともと人の心の痛みには敏感なほうで、自分自身もいろいろな経験をしてきたし、人の痛み、苦しみを理解してるつもりやったんですけど……いろんな出来事が積み重なって……それは言ってみれば、自分の人生そのものでもあるし、音楽を作るたびに消耗していったものでもあるんですけど」
これまで鮪くん自身が抱えてきた葛藤や苦悩が、いつしか澱のように心に積み重なっていたというか。
「なんだろ……基本的にはポジティヴやし、なんとでもなると思ってる人間なんで、すごく頑丈な人間に育ったと思ってたんです、自分自身で。でもそうじゃなかった」
それに気づかされたのが、今回だった。
「うん。心のコントロールができなくなった時に、強い人間なんて誰ひとりいないっていうのを、身をもって知って。ただ自分は、痛みとか苦しみとかに麻痺してただけだったんだなって」
麻痺してた?
「ずっと人前に立ち続けて、人に何かものを届け続けてきたけど、必ずしもいい意見だけがもらえるわけではないじゃないですか。そういう、いろんな棘のある言葉とかに対して、自分の中でガードをするわけですけど。そうやってガードをし続けて、自分や自分が作った音楽に向けられる悪意だったり棘のある言葉にさえも平気な振りをずっとし続けてきた結果、痛みとか苦しみに対して麻痺していった自分がいて……っていうことを、前々作を作ってた時に、すごく考えたりもしていて」
「Torch of Liberty」の時に。
「まあ……いろんなきっかけがありましたね。当然、今回の作品のことを話すうえで触れざるを得ないんですけど、津野さん(津野米咲/赤い公園、ギター)が亡くなったことも、そのひとつですし……平林さんには、wasabiの取材もやっていただきましたけど、ほんとに音楽仲間の中でも、音楽を作ることへの比重の置き方がすごく近い人やったんですね」
wasabiの取材でも、そういう話をしてくれたよね。
「うん。そうやってシンパシーを感じる人ってなかなかいなくて。パッと思い浮かぶのもほんとにひとり、ふたりぐらいで」
そのうちのひとりが津野さんだった。
「音楽仲間として、すごく大事な存在やったから、その存在を失ったことは自分にとってもすごく悲しい出来事やったし……そこで一度立ち止まって自分の心、というか、音楽について考える必要があったっていうか」