吉澤嘉代子が3月17日にリリースするアルバム『赤星青星』は、〈恋人〉をテーマに、違う星に生まれた2人が出会う10の物語が描かれた作品。その1曲目を飾るのは「ルシファー」で、彼女が子供の頃から敬愛する歌人・穂村弘との共作詞によって誕生した。この曲には堕天使という異世界の存在を通じて味わったさまざまなときめきが、切実でいて、どこかユーモラスな表現で綴られており、初めて一聴した時はいつにも増して文学性の強い楽曲に新鮮さを感じた。しかし何よりも新鮮というか衝撃的だったのは、吉澤嘉代子が詞を共作したという事実だ。吉澤の楽曲といえば、主人公の感情が丁寧な情景描写と共に描かれていて、歌詞の枠に収まらないほどの奥行きがある。それに加えて、一つ一つの歌詞の表記にも時間をかけて悩み抜く彼女にとって、作詞をすることは聖域に違いないし、言ってしまえば、言葉で表現することでアイデンティティを確立してきた部分もあったのではないかと思う。そんな彼女が他者と心を通わせながら詞を共作することを選んだ背景や、お互いへのリスペクトを対談形式で語ってもらった。吉澤嘉代子と穂村弘――2人は親子ほど歳が離れているというが、そんなことは全く気にならないくらいこの2人にしかわかり合えない不思議な空気感が、確実にそこには漂っていた。
お2人が出会われたきっかけは何なんでしょう?
吉澤「もともとは、私が中学生の頃に『ダ・ヴィンチ』という雑誌で穂村さんが〈もしもし、運命の人ですか。〉というエッセイを連載されていて、そのエッセイで穂村さんのことを知って短歌にも興味を持ったんです。穂村さんの短歌に初めて触れた時、まだ子供でしたけど、自分と同じような目で世界を見ている人がこの世にいるんだ……って希望を抱いたような感覚でした。今となっては、何て大それたことを……と思うんですけど(笑)」
そこから憧れの存在となったわけですが、今日までにも何度か会われているんですよね。
吉澤「そうですね。期間限定でラジオを配信する機会がありまして、その時に好きな人を呼べるチャンスがあって、穂村さんのお名前を挙げたんです。その時に初めて自分の名前をちゃんと出してお会いして、お話もできたんです。それまでは穂村さんのトークイベントにファンとして参加させていただいたこともあったんですけど……やっぱり好きな方を目の前にすると、人はなかなか話しかけられないことを学びました」
さっき対談の写真を撮影されていた時、穂村さんを見つめる目がすごく愛に溢れていました。
吉澤「ふふふふ。恥ずかしいです……」
穂村さんはラジオ出演のオファーがあった時、どんなお気持ちでしたか?
穂村「びっくりしましたね。ジャンルも世代も全く違うので。でも音楽を聴かせていただいて、なんかこれは覚えのある世界観というか……吉澤さんの曲は文学性も強いので、物を作ることについてのお話をしてみたいなと思いました。僕、普段はラジオとかのメディアは緊張するんですけど、吉澤さんとのラジオですごく覚えているのは、まるで2人きりで喋っているみたいだなって思ったんです。初対面だと打ち解けるまでに時間がかかる感じもするんですけど、何かいくらでも喋っていられるような感覚で……不安になりましたね(笑)」
あまりにも自然で逆に不安に(笑)。
穂村「これは何なんだろう?みたいな。たぶん、吉澤さんは1人でいる時も、いつも物を作ることを言葉で考え続けている人だと思うんですよ。時々物書きでそういう人に出会うことはあるけど、音楽や絵画の人は普通はそこまで言語的には詰めていかないので、この人はすごいなと思った記憶があります。その対談が終わるのが惜しいくらいで、ラジオのリスナーからするとやや引くような物作りの本質に関わるような話をしていたんですけど(笑)、こんなにジャンルとか世代とか性別を超えて話がシンクロすることってあるんだなって、不思議でした」
穂村さんはこれまで色々な方と対談をされる機会があったと思いますが、そういった感覚になるのは珍しいことでしたか?
穂村「うーん、吉澤さんとは親子くらい歳の差があると思うんですけど、逆に僕の親ぐらいの世代のクリエーター――谷川俊太郎さんとか、楳図かずおさんとか、横尾忠則さんとか、宇野亜喜良さんとか、ちょっと下では萩尾望都さんとか、憧れの先輩たちには、こっちから聞きたいことがいっぱいあったんです。僕はわりとリスペクトを抑えられないタイプなので、けっこう気持ち悪く彼らの創造の秘密に迫ってしまうところがあるんですけど(笑)。でも、年下の方とは機会が少なくて、吉澤さんとは引かれることなくそういう話ができて嬉しかった記憶があります」
吉澤「私も嬉しかったです」
吉澤さんからすると、穂村さんへの憧れもあったし、感覚的にも近い部分があるからこそ、詞を共作するなら穂村さんという思いがあったんでしょうか。
吉澤「そうですね。今回のアルバムは〈恋人〉をテーマにしていて、1曲だけ誰かと一緒に歌詞を書きたいなと思った時に、憧れの方と作れたらなって思いました」
穂村さんと一緒に詞を書きたいって思いは、けっこう前から抱かれていたんですか?
吉澤「あ、一緒にっていうのは考えていなかったんです。私が曲を書いて、穂村さんに詞を書いてもらえたらな……っていうのは今までにも想像していました」
吉澤さんは一つ一つの言葉の表記にもとても悩む方なので、そういう方が誰かと詞を作ることって、ものすごく大きな出来事ですよね。
吉澤「そうですね。やっぱり言葉を作ることって聖域なので、そんなに人と共有したことがなかったんですけど」
穂村さんはオファーを受けた時、どんなお気持ちでしたか?
穂村「緊張しますよね。曲と詞の分業に比べると、詞を一緒に作ることはよりリスクを感じるし。ただ、吉澤さんはどの曲においても、ものすごく世界観が厳密であることは知っていたので、いずれにしても彼女の中から出てくるものが無ければ曲はできないし、そこに沿っていけばいいのかなと思いました。結果的には連句のようなイメージで作っていって――連句って昔からあるジャンルですけど、最初の人が五七五を付けると、次の人が七七を付けて、また五七五ってやっていって、前の1行とは世界を繋げながら少しズラして展開してゆくんですよね。吉澤さんにまずは世界全体を象徴するタイトルを付けてもらうことになったんですけど……けっこうな間、音信不通で(笑)。ちょっと間が空いたんですけど、こちらから何か言っていいものなのかと悩んで」
吉澤「失礼しました……」
どのくらい間が空いたんですか?
吉澤「1ヵ月くらいですね。一度穂村さんにお会いして、アルバムのテーマを共有しつつ、『こういう曲にしましょう。浮かんだら送ります』ってお伝えしたんですけど……子供の頃から〈穂村さんだったらどんなふうに思うんだろう〉って考えることも多かったのに、それがいつでもメールができてしまう状況になった時、一言目がなかなか出てこないというか。〈穂村さんへ〉なのか〈穂村様〉なのかとか……」
あ、その段階からなんですね(笑)。
吉澤「本当に一言目が出なくて、フレーズも出てこないし、どうしようどうしようって時間だけが過ぎていって……」
そこから1ヵ月ほど経って、まずは「ルシファー」というタイトルが浮かんできたと。
吉澤「そうですね。あとは2つぐらい曲の世界観をイメージするようなフレーズを送ったと思います」