BiSHのメンバーとしての活動の傍ら、ここ数年、ヴォーカリストとしてさまざまなアーティストの作品に参加してきたアイナ・ジ・エンド。2018年に自身が作詞作曲を手掛けた「きえないで」でソロデビューを果たした彼女が、プロデューサーの亀田誠治とともに、初のソロアルバム『THE END』を完成させた。全楽曲を彼女自身が手掛けた本作には、情けなくて自信の持てない自分への葛藤や、悲しみややるせなさを横たえた歌、また人からもたらされた幸せで温かな感情をまっすぐに綴ったナンバーなどが収められ、BiSHでエモーショナルに唄い踊るアイナ・ジ・エンドとは、また違った彼女の姿を窺い知ることができる。そしてここから伝わってくるのは、みずからの気持ちや感情を歌に乗せることで、目の前にいる、大切なあなたに寄り添いたいと切実に願う彼女の思い。終わりを意味する『THE END』という作品から本格的な一歩を踏み出す、ソロアーティスト、アイナ・ジ・エンドの第一声をここにお届けする。
(これは『音楽と人』2月号に掲載された記事です)
ソロ・ファーストアルバムが完成しましたが、まずはアイナさん自身の手応えからお聞きできればと思います。
「手応えは……うーん……喋るより踊るほうが楽だとずっと思って生きてきたんですけど、今回、言葉にしてもメロディにしても責任を持って作ってみようっていう気持ちでやってみて。その挑戦という意味では納得いく作品になったとは思います」
作詞作曲すべて自分、というのは、ソロアルバムを作るにあたって最初からご自身のなかであったんですか。
「そうですね……例えば、自分がどんよりしてる気持ちの時に〈生きろ、生きろ〉みたいな歌を聴くと、〈なんで知らん人にこんなこと言われなあかんねや〉と思う時もあれば、元気な時にそういう曲を聴けば〈やっぱりそうやんな。生きるわ!〉みたいなポジティヴな気持ちになれたり。歌に左右されてしまうことがすごくあるから、やっぱり責任を持って唄いたいなと思うし、ならばメロディも言葉も自分で責任を持って作りたいっていうのがあって。そこはこだわってやってみました。人が提供してくれた曲を唄うこともできたとは思うんですけど」
そうですよね。これまでもいろんな方の作品にソロで参加されてますし、そういう形でアルバムを作ることも選択肢としてはあったと思うんですけど、やはり最初は自分で歌詞もメロディも作りたいという気持ちが強くあったんですね。
「そうですね。はい」
前回BiSHで話を聞かせていただいた時に、自分の中で、グループの振り付けを考えることは、ゼロからイチの作業ではないけど、曲を書くことはゼロからイチを生み出すものだから、そこに対する挑戦を絶えずしているという話をされていて。
「まあ、やってたっちゃ、やってたんですけど、ちゃんと曲作りというものに向き合ったのは、ホントこの1年ぐらいの話で。それまでやってたことは、ただのお遊びだったんだなって思いました。亀田さん(亀田誠治/プロデューサー)に助けていただきながら、ゼロからイチにしていく作業に向き合って……やっぱり想像を超える大変さだったなっていうか」
ということは、1年くらい前からソロアルバムの準備をされていたんですね。
「準備というか、昔作った曲とか、新しくできたらレーベルの人とか事務所の人には送っていて。自分で作詞作曲した曲は〈きえないで〉と〈死にたい夜にかぎって〉しか世には出てなかったんですけど、〈金木犀〉は6、7年前に作ったものだし」
アルバムの1曲目ですね。
「そういう曲が溜まっていくなかで、スタッフのみなさんがアルバムとしてまとめるタイミングを決めてくれたというか。なので、実際にアルバム作りが動き出したのは2020年に入ってからですね」
そこから本格的に曲作りに向き合いだしたと。
「そうですね。だから緊急事態宣言前後に作った曲も今回は入っていて。ちょうどその時期は世界が突然暗くなっちゃって、会いたい人に会えなくなったり、当たり前だと思ってたことが全然当たり前じゃなくなっちゃったじゃないですか」
すべての空気が止まった感じになっちゃいましたよね。
「だから、悲しい曲が少し多めになっちゃってたりするんですけど……リアルタイムで私から滲み出てきた言葉でしかないので、今しかできないアルバムになったかなとは思います。ただ聴くたびに何回も思うんですけど、私はありふれた歌を日本に増やしただけだなって」
いきなり、そんな否定的なことを言わなくても……。
「あはははは! でも亀田さんやエンジニアさん、あと楽器演奏をしてくださった方々のおかげで、音楽になったなと思うんです。ホント私が作った曲は拙すぎるものだし、私のぼやきみたいなものが音楽になって、それを世に出せるっていうのは嬉しいことなんですけど、自分的な感想は、ありふれた歌を日本に増やしてしまったなっていう感じで」
でも別に、〈世の中を変えてやるような作品を私は作るんだ!〉みたいな意気込みで制作に臨んだわけではないですよね。
「はい。っていうか無理ですね……なんか身近な人であったり、目の前にいる人たちを通しての世の中っていう感覚があるから、その人を置き去りにしたまま、世の中にバーンと何かを発信するっていうのは、まだできないんですよね。やっぱり自分はこういう歌しか作れないから、と思いながらやっていました」
それは、目の前の人を置き去りにしてまで、広く遠いところに向けたメッセージを発信したくないというか、そういう気持ちがアイナさんの中にあるんじゃないですかね。
「ああ、そうかもしれない。なんか否定的に聞こえるような言葉しか今、言えてない気がするんですけど、すごい自分的には前向きなんです。こんな自分じゃイヤだとかじゃなくて、こんな自分をやっと受け止められてできた歌たち、っていう意味で」
「金木犀」は、6、7年前、つまりBiSHに参加する前に作ったものだとおっしゃってましたけど、アルバムラストの「スイカ」も、同じくらいの時期にできたものなんですよね。
「そうですね。〈スイカの種を外に吐き出す/種の気持ちは分かるかな〉なんてフレーズ、今じゃ絶対出てこないなと思うし、〈きえないで〉は18歳の時に作ったんですけど、〈星のないプラネタリウム〉から〈味のないたらこパスタ/あなたのいない夜〉っていうふうに繋げて、夜は寂しいっていう比喩表現をしてて。なんか昔は、誰に訂正されるわけでもなく、なんの抵抗もなくこういう歌詞を書いていて、ホントに純粋だったなって」
改めて自分が作った楽曲と向き合うなかで、そういうことを感じたりしたんですね。
「だからなんか、昔の感性に戻りたいって抗ってた時も、今回アルバムを作っていくなかであって。〈スイカ〉は、昔に作った部分と今の自分をリンクさせて、歌詞はかなり書き加えたんですけど、最初ホントに〈感性死んだわ、もう無理〉って思ったりして。でも〈いや、違う。変わっていかないヤツは逆にクソかも〉って、変わっていくことがいいんだってことに気づいて」
それが〈感性の死は私の死/じゃ無いからきっと 生きている〉という言葉になっている。
「もうそのまんま、言ったら私小説みたいな感じです(笑)。感性の死が私の死って思ってたけど、いや、死んでないから今も生きてるし、死んでないから曲も作れるし、歌も唄えるし、何をひとりよがってるんだと思い直して。そう受け止められたんで、〈スイカ〉は完成させることができました」
でも〈感性の死が私の死〉と思ってしまいそうになる感覚はわかる気がします。歳を重ねるごとに、いろんな物事に対する自分の感性が鈍くなってるなと感じることありますから。
「ですよね。それにすごく囚われて、〈なんで昔みたいな曲が書けないんだ!〉みたいな苛立ちがあって。でも、変わっていかないまま死ぬよりか、変わった景色を見て死にたいなって思うし。それこそ10代の頃みたいに自由気ままに生きてたらBiSHなんてできてないし!とか、すごいポジティヴに考えられるようにはなりました」
無邪気だった当時の自分と今の自分と比べて、何かを失くしてしまったかもしれないという気持ちもあるけど、でもあのままだったら今の自分はいないと思えた。
「はい。なんかうまくまとめてくださって、ありがとうございます。言葉が上手ですね」
いやいやいや。私はあまり理路整然と論理的に話したり、考えることが苦手で……って、インタビュアーとしてここいるのに、こんなこと言うのもなんですが(苦笑)。
「そうなんですね。私、ずっと喋るのが苦手で。4歳からダンスやってて、親も『学校は休んでいいけどダンスは行け』っていう感じで、むしろダンス休みたいって言ったらそれはもうしばき倒されるみたいな勢いだったんですけど(笑)。そういう環境で育ってきたからか、学校での友達よりもダンスを通して仲よくなる子のほうが多くて。だから学校での女の子同士のいざこざがイヤだった時は、速攻帰ってダンスに行っちゃうみたいな。それがたぶんよくなかったのか、高校生の時に不登校みたいになって」
よりダンスが自分の居場所になっていった。
「はい。だから人と交わるにしても、喋るよりもダンスのほうが楽だったんですよね。好きなように踊っていくなかで、その人と仲良くなるほうが全然楽だったし。あと子供の時からずっと、別にどうでもいいことを真剣に語ったり、真剣な場面でどうでもいいことを言ってしまったりみたいなことが多くて。最近は平気になってきたんですけど」