【LIVE REPORT】
フラワーカンパニーズ
〈フラカンの横浜アリーナ -リモートライヴ編- ~生き続けてる事は最大のメッセージ!~〉
2020.08.27@横浜アリーナ(無観客有料配信ライヴ)
無観客配信ライヴなので、普段よりも小さなキャパの会場を選ぶ、もしくはスタジオを使う、というアーティストは多いが、その逆の「無観客配信ライヴだから、普段自分たちがワンマンを切れないようなでかい場所でやることができる」という、どうかしてるにもほどがある発想から決行された、フラワーカンパニーズ at 横浜アリーナ。
このライヴは、濃いフラカンファンも、最近ファンになった人も、ファンってほどじゃないけど「フラカンが横アリ?」と興味を惹かれた人も、もう誰が観ても「すごい!」と歓喜するような大成功、と言っていい結果に終わったと思う。フラカンを嫌いな人がどう思ったかまではわからないが、そんな人はわざわざ観ないか。特にツイッター、ファンはもちろん、同業者=ミュージシャン仲間の絶賛ツイートが飛び交うさまは、〈うわあ、刺さってるわあ〉と思わされる光景だった。
あ、でも、どんなに内容がよくても観た人が少なければ成功とは言えないかもしれないが(フラカンのようなセルフ・マネージメントのバンドの場合、赤字を食らったらそれがそのままメンバーの負債になるし)、配信のプラットフォーム提供や券売等を担当したぴあのスタッフに聞いたところ、普段のフラカンの東京圏のワンマンに集まる数よりも、はるかに多くの人が、3,300円のチケットを買って視聴したという。実数は教えてくれませんでしたが。
というわけで。具体的にどんなライヴだったかを伝える速報的なレポは、すでにあちこちにアップされているので、ここでは、何がその成功を導いたのか、何がそんなによかったのかについて、考えてみたい。その大きな理由、ふたつ思い当たる。ひとつめは、ライヴの前半から中盤。ずっとライヴハウスで生きてきて、今もライヴハウスで生きていて、これからもライヴハウスで生きていくバンドが、その、言わば〈ライヴハウス・バンドの矜持〉を表すライヴを、横浜アリーナという大会場で行った、そういうストーリーが見えるパフォーマンスになっていたことだ。で、ふたつめ。ライヴの中盤から後半にかけて、今この時期にフラカンが横浜アリーナで無観客ライヴをやって全世界に生配信する、ならば何をやるか、それを表すものになっていたことだ。横浜アリーナの広いフロアの一角に、渋谷クラブクアトロのステージよりは広く、リキッドルームのステージよりは小さい、くらいのサイズで、黒いシートが敷かれ、アンプやモニターや照明などの機材が置かれている。そこがステージ。で、ステージなのに、80年代の地方のライヴハウスみたいに、床が客席フロアと同じ高さ。
オープニング。ベース&リーダーのグレートマエカワが運転するハイエースが、夜の新横浜を走っている。カーナビが目的地に着いたことを知らせると、そこは横浜アリーナ。そのままハイエースをアリーナ内に乗り入れ、ステージのすぐ後ろに駐め、メンバー4人が下りてきて、ライヴが始まる。で、全16曲・1時間40分弱のライヴを終えると、そのままハイエースに乗って、横浜アリーナを出て行く。という演出、効いていた。もう大変に効いていた。グレートがハイエースをバックに演奏したい、とスタッフに伝えたところ「じゃあハイエースで入ってきて、ハイエースで帰ろう!」と満場一致で決まったという。これを考えついた時点で勝ち。と、言っていい。
セットリスト自体も、前半から中盤にかけて、そのストーリーを表すべく、組み立てられていた。メジャーから放逐され、リリースは自分たちのインディー・レーベル=トラッシュレコーズ、マネージメントもセルフになってから最初に出したアルバム『吐きたくなるほど愛されたい』(2002年)の1曲目、「白眼充血絶叫楽団」でスタートした理由は、たぶんそれだ。そのあとに「脳内百景」「深夜高速」「馬鹿の最高」とトラッシュレコーズ時代の曲を並べたのも、そういうことなのだろう。2019年9月リリースの最新アルバム『50×4』からは、5曲目の「DIE OR JUMP」と6曲目の「いましか」しかやらなかった理由も、同じくだ。普通ならもっとやりたいでしょ。
そして、ライヴのピークは、10曲目に演奏された「ハイエース」に設定されていた。ハイエースに乗って横浜アリーナに乗り込んで来たバンドが、後方に駐めた自分たちのハイエース、メンバーと機材とQ太郎(註:ローディー)を乗せて、1年につき地球を1周するくらいの距離を走り続けているそのハイエースの前で、ツアー・バンドとしての、ライヴハウス・バンドとしてのフラカンの新しき名曲(2017年発表)である「ハイエース」をやっている、という光景。間奏では、カメラの映像がハイエースの車内になり、その車内から演奏する4人の後ろ姿を捕える。すごく象徴的だったし、すごく感動的だった。2015年12月19日に行った、結成26年で初の日本武道館ワンマンも、〈ライヴハウスで生きるバンドが武道館でやる〉というものだった。武道館なのにステージを映す画面はないし、機材等もライブハウスやる時と同じだったし。それと同じことをこの横浜アリーナでもやった。ただし、武道館の時にはなかった「ハイエース」という曲によって、新しい表現になっていたのだ。
ここまでは、カメラは台数多くてバンバン切り替わるが、メンバーの寄りの画が中心だし、照明はステージの4人しか照らさないし、〈ここほんとに横浜アリーナなの?〉という感じだった。それが、「ハイエース」を終え、恒例の〈メンバー紹介&ひとりずつMC〉コーナーを経ての「最後にゃなんとかなるだろう」から変わる。照明が明るくなり、ドローンによる空撮映像が織り込まれるようになる。その「最後にゃなんとかなるだろう」の締めでは、グレートマエカワが「絶対なんとかするぞー!!」と絶叫。歌詞の最後が〈小腹が減ったらガスト 響かない歌はダスト やるなら今だろジャスト 心震わせてずっと〉である「チェスト」を唄い終えて、「最高の夏」に入るところでは、鈴木圭介は、「今年はコロナで最低の夏だったけど、今夜だけ、最高の夏!」と叫んだ。さらに次の曲は「YES,FUTURE」。タイトルからしてもう、そのものだ。で、普段ならその「YES,FUTURE」で本編終了だが、「早くライヴをやれるような世の中になったらいいな、という思いを込めて」と、「なんとかなりそう」が追加される。
というふうに、後半のセットリストそのものが、新型コロナウィルス禍の真っ只中にいる、2020年夏のオーディエンスと自分たちに対するメッセージになるように、選曲されていたのだった。あるいは。ここでこのように演奏することで、過去の自分たちの曲に新しい意味を持たせた、という言い方もできる。たとえば、「なんとかなりそう」は、1996年リリースのサード・アルバム『俺たちハタチ族』の最後に入っている曲だが、当時、トータス松本の結婚パーティーに行って大感動した圭介が、すんごい幸せな気分になって、帰り道に夜空を見ながら〈こんなに幸せな気持ちになれる夜があるんなら、なんとかなりそうだ〉と思った、その気持ちをそのまんま書いた曲である。
自分にとって何か具体的にいいことがあったわけじゃない、ただ人の幸せにあてられているだけ。なのにこんなに幸せな気持ちになれる夜もあるんだったら、これからもやっていけるんじゃないか――要は「深夜高速」で言うところの〈生きていてよかった〉夜だったわけだが、それと同じように、コロナ禍で先が見えない中であっても、このライヴによって気持ちだけでも幸せな瞬間になればいい、そんな夜にしたい、という意志の表れだったのだと思う、この曲は。
そんなふうに、今のこの状況にあてはまる、今のこの状況だからやりたい曲を並べた。そして、それが見事にはまった、ということだ。なお、そのあとの「真冬の盆踊り」では、間奏で鈴木圭介は初めてステージを離れて、アリーナの最後方まで行ってみせた。ガランと広いフロアを歩く圭介をライトが追う画、インパクト大だった。そして、後半の〈ヨサホイ〉のところでは、圭介、今度は唄いながらフロアを全力疾走で1周。グレート、戻って来た圭介からバトンを受け取って走り出そうと身構えるが、圭介、気づかず。グレート、苦笑いしながらいったん置いたベースを抱え直す、という、なんというか、とてもフラカンらしい一幕もありました。