なんか傷ついたとか、心にぽっかり穴が空いてるとか、そういうところを表現できるのが音楽の愛らしいところでもあり、憎らしいとこでもある
変に気負うことなく、今はわりとどのお仕事も楽しんでやれているんですね。
「そうですね。それに、すごくいい経験をさせていただいてるなと思って。やっぱり音楽ばっかりやっていると、社会経験じゃないですけど、社会人としての経験ってあまり積めないところもあるので……」
アーティストである以前に、社会人としての自覚がすごく強いんですね。
「たぶん、自分に自信がない部分もあるんだと思います」
ちょっと意外です。信念が強くて、自分が進みたい道を真っ直ぐに突き進む方なのかなと思ってました。
「〈私はこうありたい〉とか〈私はこうです!〉っていうよりは、曲のアレンジとかもそうなんですけど、一旦アイディアをもらうことで予想外の自分と出会えた時のほうが、感動して嬉しくなるタイプなんです。例えば私というフィギュアを作るとしたら、最初の針金だけでいいと思ってて。こんな形です、こんなポーズとります、何色の服を着るか、どういう固さの粘土で作るかっていうのは、みんなに〈こういうのがいいんじゃない?〉ってペタペタ作ってもらって、初めて私っていうものができあがった時……たぶん想像以上の姿ってそこにしかないと思ってて」
自分の尺度とか価値観だけではあまり決めないようにしたいっていう。
「そうですね。もちろん嫌な時はちゃんと嫌だって言いますよ! 『顔が紫っていうのはヤバくない?』みたいな(笑)」
あははははは。関取さんの曲を聴いてると、自分の中でのポリシーだったり、自分にとって大切な存在をすごく丁寧に唄われてる印象もあるんです。特に、インディーズ時代から家族への思いは変わらず強いのかなって。今作に収録されている「家路」は、これは私が勝手に思ったことなんですけど、インディーズ時代の「むすめ」っていう曲のアンサーソングというか。共通してる部分がすごくあると思ったんです。
「へえ!」
「むすめ」の歌詞の一番最後の部分に、〈いつか素敵な大人になって 帰ってくるために/泣いて怒ってそして笑って/過ごしたこの家の日々のこと/そっと心の奥に隠して/私は学ぶのよ/夢を見つけるのよ〉ってありますけど、その曲中の彼女が社会に出て、「家路」の歌詞のように、忘れた何かを取り戻すためだったり、何らかの理由で実家に帰ってまた自分を奮い立たせるっていうのが、すごく繋がっている気がして。
「まったく意識して書いてなかったんですけど、言われてみれば完全にそうですね……」
なので、時を経ても関取さんの家族に対する思いの強さは変わらないのかなって思いました。
「こんなこと言ったらどうなんだろうと思われるかもしれないですけど、親孝行というか、親が喜んでくれたらいいなってだけなんですよね(笑)。音楽もそうで、人生の優先順位1位が親孝行なんですよ。だから売れたいって気持ちもあるし。この前自分のブログを見返していたら、すんごい前から〈みんなの自慢になりたい〉〈自分をいつも支えてくれている人の自慢の花ちゃんになりたいから頑張る〉っていう書き方をよくしていて。たぶんそのマインドはずっと同じで、その最たる存在が親というか。私自身の承認欲求が強いというより、私が頑張って認められたら、私の家族や周りの人が認められたような気持ちになるから、それが嬉しいんですよね」
その思いの強さの裏に、昔親に反抗したり、そういった過去の後悔もあるんですかね?
「めちゃめちゃありますね。もちろん犯罪とか殴ったりはしてないですけど! ひどく当たったり、泣いたりわめいたり、『ご飯いらない』とか言ったりして。後悔もあるし、正直、それがあったから今があるんだよって自分に言い聞かせたいところもあるんでしょうね。罪滅ぼしじゃないですけど。最初の頃は『音楽でご飯食べていく』『とりあえず一人暮らしするわ』って言って家を飛び出して。でも親は親で心配だし、不安もあるから『あんたはたぶん今から会社に勤めても、普通に楽しめるし、ちゃんとできるから、そんなに音楽に拘らなくてもいいんじゃない?』って、わりと25、26ぐらいまで言われてて。でもそれがなくなったのが、やっぱりテレビのお仕事が増えてからなんですよ。親のところにも連絡が来たりするじゃないですか。『花ちゃんをテレビで見たよ』みたいな。それが嬉しくて、そのあたりからお仕事への意識も変わっていったり、音楽ももっとお茶の間を意識したものにしようって思いましたね」
じゃあ、関取さんの音楽は家族が軸にあるんですね。
「ありますね~。しかも、うちの家族って、いい曲の時はすごくいいって言ってくるのに、これはっていう曲の時は、これは……って言ってきますからね(笑)。そこも正直さじ加減にしてます。親が悲しむような出方とかやり方はしないっていうのが、自分の判断基準でもあるし」
親っていう絶対的な指針がありつつも、「家路」の歌詞で〈慌ただしい日々に忘れたもの〉ってありますよね。これは具体的にどういうことなんですか?
「あ、わかんないんですよ。何かもわからないまま田舎に帰る景色を見ていたら、理由もなく泣けてくるっていう。でも、それだけでいいんじゃないかなって今は思っていて。今まではいちいちすべてにオチと答えを見出そうとし過ぎてたんですけど、今作には全部結論がないんですよね。何かが始まりそうとか。1曲目の〈逃避行〉でも、逃げた結末がどうなったのか何も言ってないし、2曲目の〈はじまりの時〉も〈探しに出かけよう〉って唄ってはいるものの、何を探しに行くかは書いてないし」
確かに。その曖昧な表現は新しい試みなんですね。
「そうなんです。あと、今までは未来っていう言葉も避けてたんです。あまりにも抽象的過ぎて、無責任な気がして使いたくなかったんですけど……でもわかんないから未来としか言いようがないよねって、今は認められるようになってきて。わかんないけど、なんか傷ついたとか、心にぽっかり穴が空いてるとか、そういうところを表現できるのが音楽の愛らしいところでもあり、憎らしいとこでもあるので難しいんですけど、今はそれがすごく楽しいというか、やりたいことですね。歌に余白を残してあげたほうが、みんなが入り込める曲になる気がしていて」
関取さんは今年30歳という節目を迎えるわけですが、わからないままでいいとか、ぼんやりしたままでもいいって思えるのは年齢もあるんですかね。
「ありますね。年齢を重ねていく中で、その中で揉まれて削られて、やすりがかかって丸くなる部分もあっただろうし。逆に、削られることで昔はなかった棘が出てきたり、ささくれが出てきたりっていうのもあると思うんです、今後」
どんな自分に出会っても、悲観的になるんじゃなくて楽しみたい気持ちのほうが大きいですか?
「そうですね。無理して自分をこうしようって固めたりするんじゃなくて、その時々でできることを楽しんでいきたいですね」
文=宇佐美裕世
MINI ALBUM『きっと私を待っている』
NOW ON SALE
01 逃避行
02 はじまりの時
03 街は薄紅色
04 考えるだけ
05 青の五線譜
06 家路
関取花 公式HP https://www.sekitorihana.com/