2011年3月11日14時46分、東北地方太平洋沖で発生した大地震。それに伴う大津波や原発事故といった、これまで誰もが経験したことのない数々の出来事を目の当たりにし、〈何をすべきか?〉〈何ができるのか?〉と、多くのバンドマン、ミュージシャンが自問自答を繰り返していた。そんななか、早い段階でアクションを起こしたのがBRAHMAN/OAUのTOSHI-LOWだった。今回再掲載するのは、発災から12日後に行われた彼へのインタビュー。当時の被災地の様子とともに語られる言葉たちは、今現在のTOSHI-LOW自身の行動原理と地続きにあるものだ。当たり前に続くと考えていた日常が、決して当たり前に続くものではないと痛感させられたあの日。だからこそ、続けていくことの大事さ、大切さを彼は今、身をもって示している。東日本大震災から9年――改めてこの記事を多くの人に読んでもらえたらと思う。
なお、冒頭のやりとりは、震災の影響によりリリースが2ヵ月延期となったOAU(当時は、OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND名義)のミニアルバム『夢の跡』のことである。
(これは『音楽と人』2011年5月号に掲載された記事です)
今回の震災に関しては、どのミュージシャンも心を痛めていることは間違いない。それぞれの気持ちで、やれることをやろうとしている。それはわかる。しかしそれが〈僕には何も出来ないけど〉〈これくらいしか出来ないけど〉という、ハナから諦めにも近い意識から始まっているものが多い。それは確かだ。TOSHI-LOWはそこが違っていた。自分が出来ることを探して行動した。こういった行為をいちばん嫌っていた彼が、北茨城に車を走らせ、物資の提供をツイッターで呼びかけ、その物資を自ら避難所に届け、風評被害に対する行動も起こした。今はアクションを起こす時。問われているのは人として当たり前の感情だ。彼のその行動原理をじっくり読んで欲しい。しかしこのような現実に直面したことで、生の実感を取り戻し、同時に人の可能性や希望に触れたがゆえにTOSHI-LOW自身も失いかけていたものを取り戻したのである。
ミニアルバム聴きました。
「延期になったけどね」
うん。でも前のアルバムも良かったけど、より突き詰めてる感じというか。ブラフマン以上にライフワーク的なものになりつつある感じ。
「そうだね。みんな、ここでやるべきことが少しわかってきたんじゃないかな」
なのに残念ながら延期、と。
「まあ、そうなった理由はわかるでしょ」
ええ。この震災で、軒並みリリースは延期。で、TOSHI-LOWがいろいろ動いてることも聞いています。今日もこの事務所の前で、茨城産のほうれん草を配布してるわけですけど。
「不本意ながらね。知ってると思うけど、俺はバンド名を使ってそういうことをやるヤツらが今まで大嫌いだったし、嘘くせぇなと思ってる。もちろん今でもそう思ってるし、俺自身が偽善の塊で、こんなことやる資格なんかないから、関わらないほうがいいと思ってるし」
でも今回は、支援物資を集めて被災地に届けることを実践したわけですよね。
「普通だったらこんなことに首つっこまないよ。でも今回は、国も県も警察も動くのが遅いから。みんなが想定してたよりも大きな地震だったでしょ。いつか来るだろうとは思ってたけど、俺がジジイになったくらいの出来事かなと思ってた。そしたら自分がいちばん動ける世代で。体力あって行動も出来て、若者にはない知識があった」
悪知恵も働くしね。
「そうそう(笑)。どうやって裏道行けば早いか、警察とどうやりあえばいいか知ってるから」
まず整理したいんですけど、震災が起こって、TOSHI-LOWがこういう動きをするまでには、どういう流れがあったんでしょう。
「俺の友達の嫁さんが、子供生まれたばかりで、茨城の実家に帰ってたんだよね。ちょうどその時に地震が起こって。被災してなかなか連絡もとれなかったらしいけど、北茨城の市役所に避難してることがわかって。俺も地元が心配だったから、水戸の友達に連絡したんだけど『車も動かないし、お前が来てもしょうがねぇ』って言われて。水戸に向かう国道6号線は渋滞してるし、まず緊急車両を通さないといけないから、行きたいけど行かないでおこう、と。すでにうちのばあちゃん家は大洗で津波の被害受けてるし、親戚が怪我したり。いろんなことが地元で起こってたんだよね」
だから現地で何かしたい気持ちが。
「そりゃそうだよ。仲間も多いからさ。でも行ける状態じゃない、と。不確かな情報ばかりだし。その時点でいちばん正しかったのは、緊急車両を通す為に国道6号を開ける、ってことで。だから家でもじもじしてたわけよ。節電で暗くしてさ」
何も出来ないな、と。
「うん。だけど連絡は取り合ってたんだよね。そしたら大工やってる俺の友達が『顧客のおじいちゃんが一人暮らしで、水がないから届けてきた』って話をしてて。それが高萩っていう北茨城の下の町なの。『え、どうやって行ったの?』って聞いたら、6号は渋滞で動かないけど、裏道と山道使えば行けるって。行けるって聞いたから……」
行動を起こそう、と。
「まずは友達のことしか考えてなかった。そいつに電話して、その北茨城の避難所に向かった。夜の0時過ぎに出たんだけど、車が全然いなくて。5時間ぐらいで着いた。信号も安全に全部無視して(笑)」
無視っつうか……関係ないもんな。
「とりあえず避難所にはいろんなものが足りないって聞いてたから、なんか持って行こうとしたんだけど、東京はもう買い占めが始まってて。保存食とかカップ麺とか水はきれいに売り切れててさ。まだ残ってたクッキーとか、腐らない食物を買って、そのまま国道6号を北上したんだわ。で、水戸あたりのコンビニで、トイレ休憩しようと車止めたら、断水でトイレはダメだと。で、駐車場に戻ってよく見たら、車いっぱい停まってんの。友達が『このコンビニ、流行ってんなあ』って言ってたけど、よく見たらみんないわきナンバーで」
あ、避難して来たんだ。
「そう。6人ぐらいが車の中で震えて夜を明かしてんの。それ見て気持ちが入れ替わったよね。そのまま北上していくと、壁が倒れてるし、道路は地割れしてて。宮城と岩手ばかり報道されてたけど、茨城も酷い状態なんだよ。それで北茨城の避難所に着いて、そいつの奥さんと子供探して、ちょっとホッとしたんだけど、よくよく考えてみたら、奥さんの両親はまだその避難所にいるわけ。介護の仕事してるから、そこを離れられない。受付のところまでビニールシートが敷かれてて、その上に車いすの人から子供からお年寄りから全員寝てるんだよね。それを目の当たりにして、ちょっと疑問が湧いたんだ。とりあえず気持ちばかりのお菓子置いて、友達の嫁と子供を車に乗せたけど、ここでヒーロー面してる俺って何だ?って。その日はとりあえず水戸まで行って。仲間たちの顔見てから帰ったんだけど」
地元はどんな空気でしたか?
「ビクビクしてんのは東京だけだった。地元のヤツは放射能避けのマスクなんかしないで、汗だくで復興作業してたよ。それ見て勇気が湧いてさ。東京は買い占めババアが、一年で食い切れねぇような米を抱えててさ」
あれは嫌な光景ですね。
「あ、北茨城行く前に俺、USTREAMの番組出たんだ。箭内(道彦)が動いてて、参加してくれねえかって言われたから。その時は『我々ミュージシャンは何も出来ませんね』なんて言ってたの。ちょっと斜に構えて。そしたら箭内さんの携帯に増子さん(増子直純/怒髪天)から電話があって。『TOSHI-LOWは体力あるんだから、現地に行け!』って」
わはははは。
「増子さんは冗談のつもりだったんだろうけど、俺は行きたいと思ってたから『あ、行こうと思ってます!』って答えて。それが背中を押したところもあるんだろうな。話を戻すと、水戸から戻ってひと安心してるところに、今度はいわきのバンドマンの友達が『いわきがすげぇ大変なことになってる』って連絡してきて」
いわきは北茨城の上だよね?
「そう。福島のいちばん南。原発がヤバいって報道されてるから、今まで何とか物資を持って来てた業者も来なくなったと。『食べ物もない。この現状を訴えてくれ』って言われて。まず水戸の友達に電話したの。そしたらそいつがすぐ動いて、次の日には支援物資を街中でかき集めて」
水戸も震災被害は大きいのに。
「そうだよ。俺はそいつに『TOSHI-LOWの仲間だってつぶやいていいから、それで物資を募れ。そうしたほうが少しは集まりやすいから』って。それで初めて自分の名前を出したんだよ。そしたらトラック2台分の物資が集まって。いわきに運んで帰って来たと聞いて、また安心したの。でも寝る時にさ〈ちょっと待てよ。俺が昨日行った北茨城って、いわきの下じゃん……物資とかどうなってるんだろう?〉と思って」
市役所でその現状も見てたしね。
「いわきに物資が行ってないってことは、あそこにも確実に行ってねぇなと、と思って。その友達に『すぐ北茨城の市役所に電話して、何が足りないか聞いてくれ』って言ったら、そいつから『足りないものを聞いて切ろうとしたら〈いつ来てくれますか?〉って言われた』って聞いて。これは事態が切迫してるんだなと思って。そこで初めて、ブラフマンのTOSHI-LOWって名前を前面に出して、少しでも多く物資を集めようと決めたの。メンバーもそれを後押ししてくれたし。で、ツイッターで募ったんだよ。事務所に救援物資を持ってきてくれ、って。そしたら一般の人はもちろん、近くに住んでるバンドマンもいっぱい来てくれて。イッちゃん(LOW IQ 01)や恒(恒岡 章)とか、洋服関係の人も来てくれて。その晩、俺が道わかるから、水戸から来てくれたトラックと一緒に行ったの」
2日前に行った市役所に?
「そう。着いて荷物を置いてる時に倉庫みたいなところ見たら、ミルク4缶しかなくて……配ったあとかもしれないけど、どっちにしろ足りてる状況じゃないことはひと目でわかって。で、その時には友達が、緊急車両の許可証取ってたのね」