NITRODAYのヴォーカル&ギター小室ぺいが、自身が気になったものを独自の視点で調査&分析し、文章に綴っていくWEB連載。フィクションのようなことが起きている今日この頃、ぺいが考える「現」とは。
#12「ウツツ」
混乱状態という感じで迎える3月。多方面で影響が出まくりのコロナウィルスですが、僕らも参加する予定だったイベントが現時点でひとつ中止になりました。とても残念です。それに関していろいろと思うところはありますが、実際に安全じゃない状況になっているということは間違いないし、さらに被害が拡大しないためにも仕方ない判断かと受け止めています。健康な身体は何より大事だと思うのでみなさんも栄養のあるもの摂るなり、しっかり休むなり気をつけてください!
なんだか話が現実的なレベルを超えてきていて真っ直ぐ現実として認識するのが難しいような気がしてきます。こんなことは生まれて初めての経験で、言ってしまえば今までフィクションの中でしかあり得なかったような展開。だけどその、現実を現実として受け入れられないということ自体はよくあって、それはどういうことかというと、現実のあまりの儚さに対してふと諦めてもいいんじゃないかと思ってしまう夜があるということ。そんな時どうしたらいい? 死んだら終わり。なんにも残んないだろう。それがあんまりにも夢じみているものだから時々信じにくいことがあるのだ。
夢はよく見る方で、記憶もよく残る。でも夢の中ではそれが夢だとわからない。目が覚めてみて初めて気づくのだ。このままだといつか遠い将来、交わるはずのない夢/現実が重なってしまうのかもしれないなんて半分本気で思ったりもする。でも確かにそれらは交わることはないはずのもので、それじゃあ何が夢/現実を隔てているのか。ひたすら寒い公園で木に寄りかかりながら、考えるのだ。うんうん、この突き刺さるマイナスの風は紛れもなく現実だ。……冗談。はさておき、冗談というものはフィクションであって、現実ではない。でも、嘘ではあるけど僕が出した結論からすればとても現実的なものなのかもしれない。なぜならこの冗談は今この瞬間そっちに届き、認識されたから。夢の中でこれはありえない。誰か自分以外の人物が登場することはあるかもしれないけど、それはあくまで自分の頭が見せているだけ。誰も僕の夢を見れないし、僕も誰かの夢は見れない。反対に現実は現実として当たり前に誰かと共有できるのが夢と違うところで、それが現実を生きる意味なんじゃないか。会いたい人に会えなくなるのは淋しい。それだけでこの大波小波の世界に立ち向かう気になる。
少し話は変わるけど自分が音楽を作ってるのもそんな意識からだったりするのかもしれない。この現実世界にちょっとでも自分の痕跡が残って、みんなに届けばいいなと思って。よく考えたら自分が作ったものって物質的に考えたら自分の身よりもよっぽど頼りになる。そういえば先月はたくさん短歌を詠んだ。この文章も書いてる。そして、今日もなにかを残すんだ。誰かんとこへ歩いてくんだ。みかんはポケットにつっこんで。
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ミニアルバム『少年たちの予感』が発売中。
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