世の中の不条理に対する憎悪、大切な人への泣きたくなるほどの愛おしさ、生きている上で抱く感情のすべてを包み隠すことなく綴り、歌に乗せて吐露してきた阿部真央。彼女は今年デビュー10周年を迎えた。彼女の歌は代弁者として多くの共感を呼び、聴く者の心の琴線を揺らしてきた。その一方で「飾らないこと」を肯定してくれた。弱くてもひねくれ屋でも気分屋でも、何でもいい。ただ自分らしく在ればいい。歌だけではなく、不器用にもがきながら走り続ける阿部真央の存在そのものが、そう我々に提示してくれたのではないだろうか。そんな彼女のデビュー作『ふりぃ』のインタビューを再掲載。発言の端々から彼女の変わらない魅力を今一度感じつつ、改めて彼女の10年を振り返られたらと思う。
(『音楽と人』2009年2月号に掲載された記事です)
圧倒的な歌唱力、というレベルではない。自由自在な色を持つ声で、とめどなく溢れる感情を忠実に歌にしていく。大分県出身、18歳のシンガー・ソングライター、阿部真央。デビュー・アルバム『ふりぃ』には、バンド・サウンドを軸に、透明感のある可愛らしい声も、怒りをぶちまけるドスの利いた声も鮮烈なエネルギーで響かせている。彼女自身、普段からお天気屋なところがあって、普通に会話をしていても次の瞬間には自分でもコントロールできないほどの怒りや悲しみに襲われてしまうのだという。要するに、人とコミュニケーションを取るのが苦手なタイプ。曲を聴いて、インタビューをしてみて、彼女は正直で正義感が強く、本当は怖がりでさびしがり屋なんだろうと思った。だからこそ、言えなくて飲み込んだ全ての感情を歌にしてるんだろう。その自由自在な歌声は、自分を歌で開放するための羽のようなものなんだろう。音楽という自由を掲げて、阿部真央が今、長い道のりの第一歩を踏み出そうとしている。
高校時代から曲作りを始めたそうですが。その時のどんな気持ちが音楽に注ぎ込まれていったんですか。
「唄ってないとみんなが見てくれないから唄うっていう感じでした。唯一、人が私の目の前を通っていて立ち止まるのが歌だなって思って。みんな注目されたくて、自分の個性を出すためにメイクしたり、ファッションを変えたりするわけじゃないですか。でも私はなんかそういうことが向いてないっていうか。もっと可愛い子はいっぱいいるし私がお化粧しても……みたいな気持ちです。私が人に見てもらえるのは何だろう?って考えた時に歌だと思った。これしか無いから、頑張ろう!って」
じゃあ、音楽を見つけるまでは辛かった?
「劣等感ですよね。それは音楽を始めても結局消えなかったんですけど。でもやっぱり中学校の時とか、女の子って群れてるじゃないですか、基本的に。だからその中の一員みたいな感じで、目立つ子の側にいたりとか。群れて無いと不安だし、そういう自分が嫌だったので自分のことを〈普通だな〉って思っていました。モテる子のことを〈いいなあ〉って思っていました。私はその道ではたぶんダメだろうなって」
なんでそう思ったの?
「努力をしなかったんですよ」
可愛くなろうとか、努力をするような前向きな気持ちにもなれずに。
「そうですね。それで高校に入ってから、音楽がある程度評価されたことで、そこからは頑張りました」
自分で曲を書き始めてからは、感情を吐き出す快感ってありましたか。
「高校2年生の夏にヤマハの〈TEENS’ MUSIC FESTIVAL〉の大分大会でグランプリを獲るんですけど。そこでヤマハの方に声をかけていただいて、まずはデモ・テープを録りましょうということになって。それからですかね、要はスタジオも借りるし人も動くし、お金も動くわけです。それだけのことをやってくれるなら、もしかしたら私が曲を書いて唄うことに何かしらの可能性があるのかな、それだったらやってみようか。自分の思うことを歌にしよう、っていう想いにカチッとピントが合った瞬間でした。そこから今でも、思ったことを素直に書くスタンスは崩れて無いです」
今回のアルバムの中で特にそうした手応えを感じてる曲はどれですか。
「やっぱり一番強いのは〈コトバ〉という歌ですかね。メッセージ性は特に強いと思います」
〈口にしなければ 伝わらないことだってあるよ/明日消えちゃってもいいように伝えてよ〉って。これは自分にも言ってる?
「そうですね。自分も実感したこと。これは『セーラー服と機関銃』というドラマを見て書いたんです。長澤まさみさんが主演で、彼女のお父さんが死んじゃうんですけど。そこで思いましたね。〈人はいつ死ぬかわかんないなー〉って」
ちなみに高校時代はどんな環境の中にいたんですか。
「普通でしたね。だからこそ、面白くなくて。基本的に同級生と話が合わない感じで、年上の人と話すと面白かったです。考えてることが深いというか、別に同じ歳の子たちが軽いというわけではないですけど。同級生より年上の人たちのほうが面白かったかな」
常に物足りなさみたいなものがあった?
「ありましたね。とはいえ私も17、18歳だったので、同じ歳の子と普通に楽しい時は楽しいんですよ。バカやってワーッみたいな。ただ、日頃私がしたい話っていうのが、それこそ〈コトバ〉で唄ってるような、明日死ぬかもしれないけどさ、みたいな重い内容だったので、みんなは好きじゃないですよね、そういうの。もっと楽しく生きたいなみたいな感じだったので。あとは実際に考えてない子もいましたし。自然と友達は減っていきましたね(笑)」
資料にも高校時代は「普通にコミュニケーションを取ることを放棄していた」と書かれてありますが。
「いや、ただ単に話さないだけですよ(苦笑)。話しかけられたら『ああ〜、うん』みたいな感じで」
反応悪いなあ(笑)。
「普通に話しますけど、常にこんなテンションなんで。私もそこでコミュニケーションを図りたいなと思ったら、もうちょっとテンションを上げて愛想良くしてたと思うんですけど。でも、まず自分から話しかけることはなかったです」